
ブログ書いてなーい・・・!
もう終わりかけてますが、紅葉。
「赤」って「暗い」色なのです。
「赤が暗い?? 鮮やかで明るいのでは??」
と思われるかも知れませんが、色を抜くと良くわかります。

上の写真の色や明るさを変えずにモノクロにしてみたものです。如何でしょう。黒っぽいですね。
黒っぽいもの(=赤・青)はアンダーで撮ると良く発色します。 普通に撮ると白っぽくなり、発色しません。
このブログをご覧いただいている方であれば、「なんだ知ってるよ」って話かとは思いますが敢えて載っけてみました〜。
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GRD。
パッと出してサッと。
「先生」でありながら、時に面倒な理屈は置いといて、「撮る!」という情緒の衝動にリニアに答えてくれる。
いい光だなー って感じたものをしっかりじっくり押さえる時ももちろん。

気取らず、媚びず、撮り手の要求に素直に応える道具。
GRDについてスペックを語るのは野暮というもの。
身に付けた者だけに、写真の何たるか・カメラの何たるかを懇切丁寧に教えてくれます。
1は使ったこと無いけど、その辺は2も3も同じ。
4 はどうなのかな。
楽しみ。
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今は手放してしまいましたが、タムロンの高倍率ズーム、18-200 / 18-250 / 18-270 と、3本使ってきました。
最新のピエゾドライブの小型ズームだけ使った事無いのですが、そう言えばどうなのかなー って ふと思いまして。
Kissやあまり使わなくなった30Dにくっつけるとお手軽撮影モードで使えるかな
とも思ったのですが、
「一眼はお手軽モードじゃなくって、がっつり撮る時に使う。お手軽はコンパクトで」
という切り分けが出来ているので必要無いんですね。そっか。
写真、18-270で最後の最後に撮ったショット。
7DでISO6400で、ベランダから月。
高倍率ズームは画質が云々 と言われますが良く写ってるジャン。
ただ望遠端の写りがチョットアレだったので、望遠は専用の という事で手放しんたんだっけ。
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GRD2の頃から常に3:2で撮っていましたが、最近は時々4:3で撮っています。
3:2よりスクエアに近いためか、「28mm」ではなく「35mm」くらいの画角に感じる辺り、いいかもなー。
レンズが増えて得したような気分。
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某社、新製品が出てきました。f2スタートの明るいレンズ。
GRDはf1.9なのであんまり変わりません。
明るさがf値で0.1しか差がないのであれば、光学性能的に大差無いのでは? そんなにGRDのレンズってエラいのか?
ええ エラいのです。
その某社新製品の旧モデルの「f2.0」で撮った(ワイド端)raw画像を見たことがあります。 ぐにゃっと歪んだ酷い画像。写真として使い物にならない激しい歪み。魚眼レンズか? と思ったほど。 もちろん、そんなレンズは使い物になりません。
じゃあ何でそんな酷い画が写るカメラを堂々と売れるのか?
それは、 「ぐにゃっと歪んだ酷い画像をデジタル処理によってまっすぐでキレイな画像に修正してから写真として吐き出している」 から です。
デジタルですから、ベイヤーですから、輝度データを補正・補完して画像を作る事は免れません。
が、必要以上に補正されるのは好きではありません。私は。自分の意思で撮りたいから です。 メーカーに「こういう画がいいのだ」と押し付けられるのであれば高いカメラは必要ないでしょう。 ケータイカメラや安いコンパクトのオートでパシャパシャ撮るべきです。
で、話を戻してGR。
「歪んだ画でもいいじゃん」といった妥協をしないGR LENZは、歪みも色ズレも少ない「素性の良い画」をセンサーに集めてくれます。単純に明るいだけではない と。
「GR Digitalって何で高いの?スペック見る限りその辺のコンデジと大差ないじゃん?」
はい。その「レンズ」の違い、「レンズ」の値段 が他のカメラとの差です。 コンパクトカメラというカテゴリにおいて、「最高の光学性能を持つレンズ付きのカメラ」がGR Digitalである と思います。
最高のレンズが付き、普通の機能を持つコンパクトカメラ を選ぶか、 普通のレンズが付き、最高の機能を持つコンパクトカメラ を選ぶか。
お好きな方をどうぞ と。
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GRD4、モニターキャンペーンに応募した手前、タイトルに「and GR Digital」って付けて画像も替えてみました。
モニターされる場合はご自身のブログでGRD4の事をつらつらと・・・ ええもちろん使いまくって書きまくりますとも。
選ばれるといいなー いや是非選んでくださいませ
買えってか そうね。。
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iPad。こういう使い方いいかもな と思いました。
勝手に人の写真添削しちゃってますが。
NoteShelfという手書きノートアプリを使ってます。
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先日は猿賀神社で蓮、昨日は合浦公園の睡蓮を撮りました。
どちらも池の中に生えるので、近くまで寄れないものがほとんど。 だから、普段はあまり使わない望遠レンズが非常に役立ちました。
が、しかし、
「望遠で撮った方が撮りやすい」ものは、誰もが望遠で撮るでしょう。
自分だけの写真を目指すのであれば、「撮りやすい」という理由による道具の選択は避けたほうが良いかもな と思いました。
思っただけなのでまた望遠付けて合浦公園行ってるかも知れませんが。アハハ
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ふと思いだした「泥中に咲く」。
3年くらい前、花展で生けた花のタイトルです。
「泥中」は、そもそも蓮にかかる言葉ですが、当時、「泥」を「壊れたパソコン」で表現しました。
「IT」は便利な様で何かおかしい現代社会の象徴。 ITのステージは携帯からスマートフォンへ飛躍。「いつでもどこでも誰とでも繋がれる」反面、本来帰る場所・団欒の場所である「家庭」の姿が壊れつつあります。
「知識」もまたいつでもどこでもネットで調べることができ、個人が知識を持つ事の価値が希薄にもなりました。
直接的な業務での利用も進み、本来の業務を憶えるのではなく、「IT機器の操作方法を憶える事」が仕事となり、人間はオペレーションをこなすだけ。「仕事がデキない奴」になった事を、「効率的だ」「良くなった」と喜ぶ社会人。
はっきり言って狂ってます。クレイジーです。
進化を遂げる過程で歪んでしまった現代社会。 その中においても「花」の普遍的な美しさは変わることが無く。
いくら人間が狂っても、花は本当に大切なもの・大切なことを諭してくれる
と
そんな内容だったなー と思いつつ、撮った蓮を眺めると、まあ そのまんま。
自分が生けた花より、よっぽどわかりやすく「泥中に咲く」事の意味を語りかけてくれるようです。 根を断った花より、根から生えている花の方がずっと強い力があるから。当然の事。
自分自身、根付いているのか 自分の根っこは何なのか 花は咲いているのか どんな花なのか
迷いは無いつもり。腹は決めているつもり。 でも本当にそうなのか、今一度確かめろ と。 厳しくも向かい合うべき「自己」について、語りかけられます。
うん やっぱり 泥の中から咲く花、力持ち です。
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何が本当に良いもので、何が悪いものなのか。
例えば 写真を習ったり見たり撮ったりするうちに、良い写真を見分ける目が養われたりします。
んでも、その「良い」の基準はうまく理屈だてる事が出来ません。
何故か。
それは、「こうだから良い」「こうだから悪い」といった情報は、本来良い悪いを判断する為の「こころ」、いわば「感性」にとって余計なものでしかない からです。
人間の深い部分にある「良いものを良いと感じるこころ」は誰しも似たようなものなのに、「誰々がいいと言ったからイイ」「ここがこうだからイイ」「有名な人のものだからイイ」「人それぞれだ」といった情報や知識によって、正しい判断・正しい感覚が阻害されている と。
「いいと感じるからイイのか?」
その通り。
ただ、その「いいと感じる」感覚が、素直なこころから湧き上がったものなのか、何らかの理由や条件に当てはまるからいいと感じたのかでは大違い。後者は「感動」ではなく「錯覚」でしょう。
純粋なこころは誰しも持っているもの。不要なものが覆い被さっているだけ。
時に、不要なものを取り払って、純粋なこころからの声を聞き、自分と向き合う。 誰しも欠点はあり、たくさん悪い事をしているもの。だから、決して卑下する事なく。
純粋なこころで向き合う相手、見える世界は、良いものは輝いていて温かく、悪いものは暗く淀んで冷たいもの。
少なくとも自分はそんな風に思い、感じます。
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